鈴木印刷所の歩み
  • 頑張ろう宮城!復興応援パック
  • 実績&特集

NEVER GIVE UP ―原点回帰・第二の創業へ―

当社の歴史は、東京小石川・共同印刷にて多色石版印刷職人として活躍していた祖父の鈴木定一が1923年(大正12年)、関東大震災に被災し、命かながら、身一つで故郷の石巻市に辿り着いたところから始まります。それから3年後の1926年、祖父は鈴木印刷所を創業し、東京時代に修得した高度な印刷技術をもとに奮闘をはじめました。
その後、父の鈴木新一郎の代に移ってからも、鈴木印刷所の歩んだ道のりはまさに日本の歩んだ道に寄り添う形で、第二次世界大戦や戦後の混乱と復興、高度経済成長、オイルショック、バブル経済ならびにその後の長い不況と、本当に困難なものでした。
また、そのような政治経済事象に加えて1960年(昭和35年)のチリ地震津波、1978年(昭和53年)の宮城県沖地震などの自然災害にも遭遇しましたが何とか乗り越えて参りました。

しかし、3月11日のあの日、大地震と巨大津波が故郷・石巻市を変貌させてしまいました。当社も本社工場が津波で被災し、そして本当に残念なことに従業員の中にも犠牲者が出てしまいました。 現在、私たち鈴木印刷所は、多くのお客様のお支えと社員一丸となった復旧作業により何とか業務再開することが出来ました。地元宮城でもうすぐ90年、当社を育ててくれた宮城県の復興のために「いま、印刷ができること」を追求し、印刷業務を通じて皆様のお力に少しでもなれることを願っております。

祖父が関東大震災から身一つで起こした鈴木印刷所でございます。
ここであきらめるわけにはいきません。
今度は孫である私が地震と戦う番でございます。

代表取締役 鈴木勝

会社沿革

1923年(大正12年)

"関東大震災直後の東京小石川・共同印刷 鈴木定一もこの場に居合わせた石版印刷職人・鈴木定一(ていいち)、東京小石川・共同印刷にて関東大震災に被災
郷里・石巻に帰郷

1926年(大正15年)

創業時の木製看板鈴木定一・妻みつ子、石巻市日和山にて鈴木印刷所を創業
石巻名産のクジラの缶詰めのデザインを手がけ評判となる
高度な石版印刷技術と得意の墨インキの調合で11段階の
ブラックを表現し、立体的なクジラの図案を作り上げた

1930年(昭和5年)

初代鈴木定一が愛用した日本初のオフセット印刷機石巻湊時代の当社の名刺。石版、活版の文字が懐かしい石巻市湊に本社・
工場を新築移転する

1945年(昭和20年)

第二次世界大戦終戦

1960年(昭和35年)

5月22日、チリ地震発生 翌日、石巻市にも津波が押し寄せ当社も一部被災

1963年(昭和38年)

創業時の看板をもとに制作され、当社の門柱に設置された株式会社 鈴木印刷所へ組織変更

1964年(昭和39年)

東京オリンピックの年、現在の石巻市蛇田へと移転した東京オリンピック開幕
現在地 石巻市蛇田字新谷地前121番地へ本社・工場を新築移転する

1978年(昭和53年)

6月12日、宮城県沖地震にて本社・工場一部被災

1983年(昭和58年)

仙台駅東口、榴岡3丁目8番1号に仙台営業所新築、支店設置登記

1999年(平成11年)

仙台駅東口・宮城野大通り(楽天ロード)に面する仙台支店ビル 野球開催時には多くのファンで賑わう仙台営業所に鈴木印刷ビル(SPビル)を竣工

2000年(平成12年)

鈴木勝(まさる)、代表取締役社長に就任 前社長鈴木新一郎(しんいちろう)が会長に就任

2006年(平成18年)

創業80周年に際し、紙と電子媒体の融合化を実現したSP-E・BOOKを発表する

2009年(平成21年)

石巻日日新聞・2月5日朝刊一面 緊急オペのため石巻市立病院から京都までヘリコプターにて搬送された2月5日、かねてより闘病中だった現社長・鈴木勝に対し、長男が臓器提供者となり京都にて生体肝移植を行う
手術は無事成功し、社長は現場復帰を果たした

2011年(平成23年)

地元宮城復興を願い、2011年石巻川開きポスターを寄贈した日のスナップ3月11日、石巻市の本社・工場が津波により被災
多くのお客様のお支えと懸命の復旧作業により業務再開に至る
現在、宮城県の復興を目指して奮闘中!

サービス内容・料金等お気軽にお問い合わせください